本件は複合問題だと思っています。
よってきちんと議論しないと話が見えてこないし、賛成か反対かでアンケートするみたいな簡単な話ではありません。ちょっとまとめたいと思います。
議論のテーマを分割・整理する
個人的にはここが肝です。
1.誰であっても自分の意見を言えるべきであるか
2.詳しくない分野について、意見を言ってもよいか
3.ある分野で影響力がある人が、それ以外の分野について意見を述べてよいか?
4.3は政治においても当てはまるか?
こんな感じですよね。
1.誰であっても自分の意見を言えるべきであるか
これは現代の民主主義国家に居る人なら大体言えるべきというでしょう。
なのでここは論点ではないと思います。
しかし
「有名人が政治発言するのは悪いことか?」に対して誰かがNOと言ったとき、反論として「誰であっても自分の意見を言えるべきだろう」と返ってきているケースがあります。
別に反対者はここでNOと言ってるわけではないので議論は一旦破綻します。
2.詳しくない分野について、意見を言ってもよいか
これは概ね「言っても良い」で、一部は「言うべきではない」というのではないでしょうか。
特に年配者は「言うべきではない」というかもしれませんね。
ここですれ違っている場合は主義主張の不一致なので、話は平行線になるでしょう。
3.ある分野で影響力がある人が、それ以外の分野について意見を述べてよいか?
「有名人が」とか「芸能人が」と付いている場合、議論のコアはここだと思います。
特に現代はSNSの時代です。フォロワー数が数十万、数百万のような人がうっかり間違ったことを言って悪影響が広がるとか炎上するみたいなのはちょくちょく起きています。影響力があると、言葉にその分の責任が乗ってくるようです。
それ以外にも、影響力がある人が何かを批判することで「信者ファンネルを飛ばす」というのもありますよね。
特に日本人はそこらへんに敏感なようで、影響力の大きいアカウントでは適当なことを言わないように気をつけている人が多い印象です。
この話が難しいのは、一つが程度問題だからです。
フォロワー数が100、1000、1万、10万、100万、1000万、1億でどのように変わるのか、どのような影響が出るかというのは未だあまり知られていないのではないでしょうか?どのくらいの影響力の人が、どのくらいの責任を持っていてどのくらい注意すべきかというのは定義できません。
ただ、昨今のテレビに対する風当たりの強さを見ると、確かに何かしらのボーダーラインは存在しているように思えます(ただしこれは影響度ではなく、批判という形で顕在化します。また時代や視聴者層によってこれらはかなり変動するようです)
ここの問題はかなり議論があるでしょう。
ちなみに個人的にはこれはサービス・システム側の問題だと思っています。
4.3は政治においても当てはまるか?
上記3つの立場をお互いにクリアした状態で、ようやく話せるのがこれです。
政治というのは「全員が有権者であり当事者」という非常に特殊な条件があるため、そもそも3には当てはまらないのではないか?という主張になり、結局1,2に立ち返っていくことになります。
結局答えは出ないでしょう。これは民主主義の根幹に関わってくる問題です。そもそも選挙自体が「何人フォロワーを獲得できるか」とほとんど同義ですからね。
私の意見
個人的には何かの分野でフォロワーと信用を稼いだ人が、そのアカウントで政治的発言をするのはフェアじゃないとは思います。
その一方で「そんなのどのジャンルでも同じでしょ」とも思いますし、有名人が本当に国を良くしたいと考えているなら自分の持ってるもの(アカウント)を最大限使って世の中に発信していくのは間違っていないし誰にも制限できないと思います。
ただ、影響力がある人・サービスはそれだけ慎重にならなければならないというのは間違いないでしょう。それは最近起こったテラスハウスで皆も思ったのではないでしょうか。数は力であり、毒にも薬にもなります。
あとシステム・サービス的な面で言えば、人&トピックに対して注目度が変えられたらもっと上手いこと行きそうだけどな、と思っています。そんなの作れたらいいなー、って6年くらい考えてるんですが。
そしたらもっと有名人だって気軽に意見を言えるんじゃないでしょうかね?無理かな(有名人の場合、メディアが勝手に拡散するんですよね今は)