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IT業界で気づいたことをこっそり書くブログ

何とかする系アプリエンジニア(SE)が、日々気づいたことの中で、役に立ちそうなことを綴っていきます(受託→ベンチャー→フリー→大企業、ベンチャー)

【議論】なぜ暑い時に「暑い」と言ってしまうのか?「議論」を攻略する②

続きです

 

otihateten.hatenablog.com

 

前回のまとめ

 

・意見に対しての反応は同意と否定が多い

・意見の差はストレスで、埋めると気持ちいい

・同意も否定も、この「差を埋める」行為をしている

 

「どうやればよい議論ができるか」は後に回して

一旦前回の話をより深く掘っていきます

 

一人でやる議論=考察

議論というのは、複数人でやるものですが
この「複数人」を「1人」に拡張して考えることができます
その時、議論は考察になります

 

これは私が言ってるだけではありません
論文の最後に出てくるdiscussionは、一人でやるのにdiscussionという名前がついています
議論は一人でもできるのです

 

一人でやる議論は、何を埋めている?

議論というのは、複数人で認識の差を埋めることで、よりよい答えにたどり着くための手法ですよね
では、論文のdiscussionはどうでしょうか?

論文のdiscussionでは、結果に対する考察をしています

1.最初こうやればうまくいくのではないかと思った
2.やってみた
3.一部うまく行き、一部はうまくいかなかった
4.うまくいかなかった部分は、自分の想定と結果の差異だ
5.議論により、差異を埋め、より良い答えを出そう

 

つまり、相手は結果であり、差異は当初の想定とのズレです

ズレを正しく埋めれば、おそらく良い答えに向かいますよね?

 

結果が無くても一人で議論はできる

論文では分かりやすい結果がありますが
結果がなくても一人で議論はできます
議論の相手は「世界」です(中二病っぽいw)

 

言葉でも文章でもよいです、考えたことを世界に出力してみます
その出力結果と、脳内世界に差異があれば、議論(独り言)は始まります

 

例)

「今日あっちーなぁ」
「あれ、暑いわけじゃなくね? 湿度が高いんだよきっと」
「いや調べたら湿度も低いし温度も低い」
「風邪引いたかな」
「うわ、計ったら38度だ、風邪だったのか」

 

 

一見してただの日常ですが、これは一人で議論しています

 

同じような現象はブログや仕事でも現れます

IT業界のネタ用語にRubberDucking(アヒルのおもちゃとの語らい)があります

あなたは全部知っていますか?プログラミングの業界用語30選 | 開発手法・プロジェクト管理 | POSTD

時には、問題をただ口に出して言ってみることが必要です。かつて私はボスの部屋に行って話をしたものでした。ボスはただ私の話を聞き、そうしているうちに私は、自分で自分の疑問の答えが分かり、ボスのアドバイスをもらうことなく彼の部屋を出たのです。アヒルのおもちゃに向かって話しかけられるように、誰かがアヒルのおもちゃをモニタのところに置いたという話を読んだことがあります。アヒルのおもちゃとの語らいは、自分が持っている問題を口に出して言ってみる手段になるのです。

 

これは自分が出力した言葉(世界)と脳内での議論が行われたということですよね

 

皆やってる小さな議論 自分と世界の差異を埋める

前回も書きましたが、扉がちょっとだけ開いてると閉めたくなりませんか?

また、思っていた場所に思っていたものが無いとイライラしませんか?

部屋が散らかっているとイライラするし

自分のことを家族が理解してくれないのもイライラします

皆が自分と違うことをいうのも嫌ですし

反対されるのも嫌です

言いたいことを言えない世の中もツライです

 

こういうのは、自分の脳内世界と実際の世界の差異に苛ついていると考えることができます

 

自分の頭のなかでは非常に「暑い」という感覚が渦巻いている時

暑い」と発言することで、世界に「暑い」が登場します

すると、脳内と世界の差異が少しだけ埋まるので、少しだけストレスが緩和されます

 

この
「世界と自分の脳内を近づける作業に、人は物凄いモチベーションを発揮する」

というのは面白い発見だと思います

 

「自分を合わせる」「相手を合わせる」

世界と脳内を同質化させようとするとき、2つの方法があります

自分を世界に合わせるか、世界(相手)を自分に合わせるかです

難しい話ではなくて、前者は「同意」後者は「否定」です

 

もっと言えば、前者は「シンパシー」「リスペクト」「パクリ」「流行」「勉強」などありますし
後者は「洗脳」「教育」「強制」「布教」など色んなパターンがあります
しかしやってることは同質化ですよね

 

ところで否定の方はかなり限界があります
世界なんで安易に変えられません
しかし否定が大好きな人は否定にこだわるので、もう一つの新たな方法が生まれます
それは自分の世界に対する認知を変えてしまうという手です
これは認知的不協和と言って、「酸っぱい葡萄」で有名ですね

 

すっぱい葡萄 - Wikipedia

キツネが、たわわに実ったおいしそうなぶどうを見つける。食べようとして跳び上がるが、ぶどうはみな高い所にあり、届かない。何度跳んでも届かず、キツネは怒りと悔しさで、「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか。」と捨て台詞を残して去る。

 

当たり前ですが、絶対的に正しい世界なんていうものはありません
あくまでその人が認知し、脳内で世界を構成したものを使っています
だから、強いストレスがかかる場合は認知の方を変えてしまいます

 

ちなみにすっぱい葡萄における「同意」の方は、例えば
キツネ「めっちゃぶどう食べたいけど届かない、つらたん(;_;)」みたいな感じですね
Twitterなんかに投稿して「わかるー」「かわいそう」と言われればストレス緩和できるかもしれません

認知的不協和の例:陰謀論、不条理

例えば、頭のなかで「りんごが一番美味しい果物で、日本人はみなそう思ってる」と思ってる偏屈な人が居るとします
そんな人がネットで「梨最強すぎワロタwww」などという発言を見た時
世界と脳内でどうしようもない差異が起こります
すると先程のすっぱい葡萄の例と同じことが起きます

「彼らはなにか企んでいる」「彼らは日本人じゃない、日本人のふりをしている」

などと陰謀論を始めます
こういうケースは非常に多く、日常にあふれています

 

また、人間は不条理や理不尽なことが嫌いですが
コレも結局、脳内で考えたルールと実際とが合わないから起こる気持ち悪さだと思います
人は「理にかなっている」ことがとっても大好きなのですが、人によってはその理が非常に間違ったものであることも多いです

 

創作は議論に近い

表現するということは、世界に自分の脳内を吐き出すような行為であり、同質化に近いです

このとき、「誰も読んでくれなくてもいいや」という場合は世界に対して同質化していて
「より多くの人に伝えたい」という場合は人や世間に対して同質化していることになります

 

言葉を使わない議論

議論を「同質化」「良い答えを出す」という2つの行為に分解して考えると、議論は何も言葉を使わずともできることが分かります

 

例えば一人の芸術家Aが、これまでにない素晴らしい作品を作ったとします
その作品に対して別の芸術家Bが、一部をリスペクトしつつBにとって差異を感じた部分をアレンジした作品を作ったとします
Aは、それを見て「なるほど」と思ったり「いいや違う」と思ったりしながらまた次の作品を作ります

これってもはや議論ですよね

 

もう一つ例を挙げると、例えば多くのユーザーが居るサービスが有るとして
新しい機能を入れた時、ほとんどのユーザーから「NO」を突きつけられたら、機能を取り下げるかもしれません
この時ユーザー一人一人の声ではなく、全体の割合で「同意」「否定」を感じ取り、良い物に仕上げていくのは議論に近いです

 

または、普通に複数人の場合でも
言葉で何が良いか語らうより、率先した行動で模範を示すことがあると思います
その行動に対して、別の人が少し違うやり方をし始めたら、それは議論に近いですよね

 

議論の出発点は叩き台

このように考えると、兎にも角にも「同意」「否定」される対象がなければなりません
1人でやるにしても、まず言葉にしてみなければなりません

ただ単に「議論するぞ!」だけではなかなかうまくいのが難しいところです

 

しかし、経験則でわかると思いますが叩き台は非常に叩かれます
インターネットなら炎上もするかもしれません
そのくらいの覚悟を持ち、かつ前回言ったように「粗ばかり」では議論に発展できません
80点くらいは最初に示さなければいけないので、かなり難しい作業です

 

もちろん50点でも、よりよい叩き台を出せる人を炙り出すことはできますが
大抵50点の方が先に叩き台として注目されてしまうので、うまくいくことが少ないと思います

 

ここまで

まだまだありますが一旦ここまでにします


議論って「差異を埋め同質化」して「良い答えを出す」ものなんだ。と考えると色んな事象がシャープに見えてくるのではないかと思います

実は議論ってそこかしこにあって、どれもやり方としては同じなら、応用が利きますよね

次回は議論をうまくやる方法を書ければと思います

 

そういえば、「相手の意見を否定した時、否定した人の差異は埋まるが、否定された人の差異は生まれるから、否定された人は凄いストレスを抱える」という話をまだしていませんね

ここがとても重要なポイントだと思います