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IT業界で気づいたことをこっそり書くブログ

何とかする系アプリエンジニア(SE)が、日々気づいたことの中で、役に立ちそうなことを綴っていきます(受託→ベンチャー→フリー→大企業、ベンチャー)

けものフレンズのバズを前線で見ていて学んだこと

ほぼリアルタイムで見てましたが3話あたりでハマりました
たぶん2chアニメスレの書き込みのうち、2%くらいは私ですw

 

さて、私は運良く多くの人より先んじてのめり込んだようで
そのためバズの流れを非常によくみることができました
少し分析してみます

※ちなみに、けものフレンズをある程度知っている前提です

 

ニコ生4話の時点で異常な熱量があった

分析されている多くの方が、4話で火が付いてそれ以降にバズったと分析されているようですが
ニコ生4話の時点で視聴者の熱量は異常でした
1万人の視聴者に対し、コメントが3万、評価が約95%と、すでに大きなうねりはあったのです

スレの雰囲気も3話の時点で良好でした
では、なぜ3話時点でバズが起きなかったのでしょうか?

 

バズのためにネタが必要

「どのアニメのどの回がおもしろかった」なんていう情報はそこらじゅうに転がっています
情報の受け手に「お?」と思わせるためには、何かが必要です
今回はそれがニコ動の超高評価と、ミームだったと思います
これはたまたまなのですが、4話のニコ生は視聴者数が減っていました
何故かといえばシュタインズゲートの一挙放送が裏でやっていからです
また、3話は前の放送からの流入が有りました

つまり、4話の視聴者はけものフレンズ大好きな熱狂的な感染者だったのです
熱狂的な感染者はもちろん超高評価を叩き出します
そして、「だんだん評価が尻上がりに急上昇していって、ついに95%まで達した」というネタができるわけです

 

アーリーアダプターに火をつける

ミームでキャッチして、けものフレンズというものを知らしめ、かつ「どんどん盛り上がっているらしい」

この事実に反応するのはもちろん情報に敏い人でしょう
「しまった、ノーチェックだった」と思った人はその面白さを分析しにかかります
それが4話以降に起きたことです

彼らは得てして拡散力が有ります(アーリーアダプター体質)
そこに着火できたために、バズが加速したのでしょう

 

はてなブログのホットエントリー入り

アーリーアダプター=情報発信している層です
彼らが何かしらの記事を書くと、イノベーターは「そうだ!」と言います
するとはてなブログのホットエントリーでちょっとした盛り上がりを見せます
そこでアーリーマジョリティに発見されるわけですね

 

職業記者に見つかる

はてぶのホットエントリーみたいなものをよく観察しているのが、仕事で記事を書いている人たちです
はてぶのホットエントリーに、複数記事が登場すると
必ず数日後に大きなメディアが報じる傾向があります

彼らは熱量こそ劣るものの、拡散力と情報調査力に長けています
そして新しい情報や分析を行うと、多くのアーリーマジョリティーに発見され、さらに既存のユーザーによって拡散されるわけです(私のような)

 

ここで重要になる「総熱量」

とはいえ、ここまで来るネタというものは、割と多くあります
そこから先は、感染者たちの熱量がものを言うでしょう
大手メディアはその熱量を敏感に嗅ぎつけて、その程度次第で
記事化➝ヘッドライン(ヤフーなど)➝テレビへの露出
などのように伝染していきます
(今回のヤフーの嗅ぎつけ具合は半端なかったですね!)

 

改めて考える、どこがスタートだったか

もちろん着火は偶然4話でしたが
火を付けた者たちは3話で既に飲まれていました
(もちろん3話で熱狂したのは、1話と2話があったから)
仕掛ける側としては4話を再現したいわけですが、それでは全然足りないわけですね
たとえハリボテで4話を再現しても、その先につながらないのは上で説明したとおりです

 

面白ければこのバズは起こるのか?

上で書いたとおり、偶然がいくつか重なっています
黙って面白いものを作っていても、このバズは起きるかどうかは運でしかありません


上で書いていない要素としては、「1話の振り落とし」と「ニコニコ動画で有料」という点があるでしょう
「見た者の評価」と「まだ見ていない者の評価」にギャップが生じます
以前の記事でも書きましたが、ギャップを感じると人間は埋めたくなる生き物ですから
おもわず隣人に「面白いから見てみて!」と言ってしまうわけです

 

似た事象を起こすなら、どこを狙うべき?

他の人気作品と比べたとき、同じくらいの熱量でもけものフレンズのほうが大きなうねりになっています
これをわざと起こそうとしたら、まずはイノベーターやアーリーアダプターにだけ価値を提供すると良いのかもしれません
けものフレンズの1話振り落としのように、明らかなギャップを生じさせると
ある一時で一気に爆発できる可能性があります
ピークが高くなるので、より大きいメディアへの露出を狙えるでしょう

 

バズの弊害、コントロール

ただ、よくアニメを観る層で言われる教訓として、「がっこうぐらし」「琴浦さん」があります
これらもバズ力は凄まじかったのですが、売上はそれほど行きませんでした
バズったとき、本質なのか一過性のブームなのか、見極めるのは非常に難しいのです
(面白さは見極められるでしょうが、アニメは面白いからと言って売れません。これは他のサービスでも言えると思います。だからどうあがいても流行を分析するのは難しいのです)

 

けものフレンズは売れてる模様

しかし、けものフレンズはどうやら売れているらしいのです
じゃあどこが今までと違ったかといえば3,4話でバズったということです
1話でバズるのと、3話以降でバズるのは大きな差があるようです
つまり、一過性の価値(アクティベーション)ではなく、ある程度継続した価値(リテンション)を受け入れられた上で、ある一定層から評価されたという結果としてバズったからです

この「3話でバズって成功」というのはまどマギなど他の作品でも見受けられます
もちろん、アニメでは3話ですが、他のサービスやコンテンツでは、どの時点でのバズが本質的なのかは分析しなければなりません

ただ1つ言えることとして、1話で先行してバズった場合、一気にレイトマジョリティまで行き渡ると彼らはノイズでしかなくなるということです
3話になっても彼らは盛り上がったままなので、本質的なのかどうかまったくわかりません
よくターゲットをアーリーアダプターに絞れと言われるのはこういうことなのかもしれませんね
(とは言ってもアニメの場合は撤退が簡単ではないので、1話から攻めたほうが良いと思います。この話は、ある程度撤退が容易なサービスだけですね)

 

おわりに

いろいろ書きましたが
よくわからないけど、たーのしー!\(^o^)/

【補足】ただより怖いものはない?フリーミアムが市場生態系にもたらす影響

togetter.com

b.hatena.ne.jp

いっぱいスターもらえたので補足

 

このまとめられているテーマとしては
「あちらが無料にされると、こちらとしては商売上がったりだ」
「市場における購買生態系を破壊するので辞めてくれ」
っていう話ですね

それ自体が悪質なのか、それとも自然なことなのか、どう対処すればいいのか考えていきます

 

「無料」「廉価」にはいくつかパターンがある

この件は話がいくつか混ざっているので、パターンを明らかにしないと議論するのが難しいと思います

  1. 「基本無料」で入り口を広くするフリーミアムモデル
  2. 価格差別を狙い、ライトユーザーには無料で提供する
  3. 技術的なイノベーションにより、流通革命が起こり値段が暴落した
  4. ビジネスモデルのイノベーションにより、そこでお金を取らなくて良くなった
  5. 調達が無尽蔵に行われるため、一旦無料にして競争力を高める

それぞれについて考えていきます

 

最も悪質なのは、巨大資本によるゴリ押し(5)

巨大資本によって大きな会社が一時的に赤字覚悟で商品を提供すると、競合となる小さい企業は潰れてしまいます。
するといくつか問題が発生します。

  • 市場が食われ、小さな会社の人達が困る
  • 大きな会社に独占され、値段やサービス内容が自由に設定される
  • 大きな会社が撤退すると、買い物難民が発生するリスクが有る

この件はウォルマートで有名ですね(メッカはアメリカです、日本ではありません)

買い物難民 - Wikipedia

 

個人的に印象的だったのはTwitterです
Twitterは最初の数年、広告がなく「スゴく見やすいサービス」でした
もちろん無料です
あれでは他社が太刀打ちできませんね
じゃあその時Twitterはどうやって稼いでいたかといえば、稼いでいなかったのです
数十億円の調達により運営されていたわけで、市場としては正常ではなかったわけです

ちなみに今になってTwitterはお金を回収すべく苦しんでいますが
それが上手くいかず潰れてしまったら買い物難民のような状態がユーザーや市場に起こるわけです

一応これらは独禁法の範疇らしいですが、基本的に大きな市場にしか適用されないですよね
Appleが音楽分野に乗り出した時に、ようやく独禁法の話が出た程度です
むしろこういった話は小さい市場で日常的に行われていると思いますが

 

巨大資本が悪質である理由

これは非常に難しいですし、人によるので個人的な意見になってしまいますが
ユーザーの利便性を第一に考えているというよりは、市場を支配したいからという理由で行われている点が悪質だと思います
(「調達できてしまった」状況に故意性があるかは怪しいですが)

チェーン店なんかは割りとやりますよね

ドミナント戦略 - Wikipedia
他社を駆逐して独占するのが目的になっています

まあ悪質は悪質ですけど、正常に規制されていない現状は「やらないと負ける」状態なので、そういった会社を責めるのもなかなか難しいですが

 

巨大資本と競合してしまったら

ダメそうなら撤退するべきだと思います
もしくはドメインを小さく絞るかです

もし個人であるならば、いっそ巨大資本の傘下に入ったほうがいいかもしれません
いずれにしても市場がその先どうなるかを見極めなければなりません
ただし残念なことに、市場がその先どうなるか見えてる人は極めて少数派ですし、雑誌など情報を漁っても頓珍漢なことを書いていることが多い印象です。

 

ビジネスモデルの変革(1,2,4)

フリーミアムモデル、価格差別、ビジネスモデルの工夫は最近多く
Togetterの記事で最も語られている部分ではないでしょうか?

 

例えば

お客さんが1万人居て、売上が1億円の会社があるとします
そのとき、1万人のお客さんにそれぞれ1万円出してもらうのが従来の考え方です
これを工夫して、1万人のうち100人に100万円出してもらい、残りの9900人は無料で提供しても、売上は1億円となります
※ちなみにこれを「1万人のうち1人に1億円出してもらう」にすれば巨大資本の状況と一致しますね

フェーズを分ける手もあります
1万人のうち、1年目は全お客さんを0円にします
そして2年目に全お客さんから2万円もらったら、1年あたりの売上は1億円になります

商品を分ける手もあります
1万人に商品を0円で提供し、その代わりに別の商品を1万円で購入してもらえれば
1年の売上は1億円になります

いずれにしても、売上の結果は同じです
何が問題でしょうか?

 

ゼロ円モデルの悪影響

上記のような場合にも問題が幾つか発生します

  • ゼロ円ユーザーは客とみなされない
  • 局所的に他の市場を駆逐する(巨大資本と同じ状況)
  • 局所的に仕事を奪われる人がいる

Togetterで言われていたのはここらへんですね

 

ゼロ円モデルをやめよう!は可能か?

実際のところ不可能に近いです
こういったモデル、つまり、お金を回収する対象・時間・金額を戦略的に分けるというのは大昔から行われてきたことです
紙芝居のビジネスモデルとか、ハンコ屋さんのビジネスモデルとか
一見すると「正常な」市場に思われる業種も、裏を返せば取りやすいところから取り、取りづらい所からは雀の涙ほどしか取らないという方法が取られてきました

自分が払っている様々な料金、果たしてそれは「正常な」額でしょうか?
実は「そんな端金じゃ会社なんてやってられない。○○さんが払ってくれているから持ちこたえている」なんて状態かもしれません
正直、そうしないと経営サイドとしてはやってられないわけです

とは言えその事実に労働者や消費者は気づいていないのですが

 

技術的な影響による市場破壊(3)

最もどうしようもないのはこれだと思います
インターネットの登場でいくつの仕事が成り立たなくなったでしょうか?

長い歴史を見ると、技術の進歩というものは必ずしもよいことばかりではありません
市場破壊を招きますし、それに携わる労働者を絶望に追いやります

少し近い事象として流通革命もあると思います
「産地直送」をやられることで困った労働者はどれほどいるでしょうか?

とは言え、今更そんなこと言っても、不便な昔に戻ることはできないはずです
昔から人間はそうやって、進み、壊し、また作り、進み・・・と前進してきました
農業従事者・工業従事者・家電やらサービスやら、そのうちインターネット業も壊されることでしょう

それに憤りこそ感じても、悪と断じることは難しいはずです

 

破壊的イノベーションは異常事態か?

これらは総じて破壊的イノベーションなんて言ったりします
もちろんメッカはアメリカです
これまでを否定し、より良いやり方を生み出す一方で、既存の何かを壊していっています

こういったものは一見世にも恐ろしいことのように思われがちですが
よくよく考えてみると、近代はこの破壊的イノベーションのオンパレードでした
人生で40年位働いたとすれば、そのうちに数回は破壊的イノベーションが起こり、働き方や常識を塗り替えることを余儀なくされる人がほとんどだと思います

ただ、ここ20年くらいは不思議なほど安定していました
そのため、仕事のやり方というものは定年までずっと変わらないのだろうという、間違った考えが出回ったと思っています

ビジネスモデルは変わります
市場も簡単に消え去ります
それは数年に一回大きな地震が起きるのと同じくらい、今の世界では当たり前のことだと思っていいのではないでしょうか

 

破壊的イノベーションに対処する

今の仕事や、今の市場がいつまで続くか
それは誰にも分かりません
分からないことが正常であって、ずっと同じ仕組みで世界が回ると思っている方が勘違いなのでしょう

でもそれじゃあどう対処すればいいのでしょうか?

  • 局所最適に陥らない
  • よりコントロールできるよう上流にいく
  • アンテナを張る
  • ビジネスを理解する
  • 代えがたい価値を出せる人間になれるよう努力する
  • より安定した市場を相手にする
  • 変化のスピードが早い業界へ行く
  • 他業界でもやっていけるよう努力する
  • いっそ自ら壊す

例えばITエンジニアはこう言う動きをできている人が他業界より多いと思います
IT界隈はドッグイヤーと呼ばれるほど変化が激しいので、置いてけぼりにされないような努力の仕方をしてる人が多いですが
それでも明日には仕事が消えて無くなるのではないかと戦々恐々としています

 

創造的イノベーターが求められている

もちろん個人個人で対処は必要ですが
正直いたずらに破壊的イノベーションを起こしているベンチャー企業は好きじゃありません
破壊と統合によって、よりよくなる業界もありますが、特にベンチャーは壊すだけ壊して放置みたいなパターンがあります、自分でやるときは気をつけたいですね

もう一つ、その市場の生態系が崩れて困った労働者たちを活かすマーケットを作るタイプのイノベーターが世の中にまだ少ないなと言う感じがします
実は私もそういうタイプの会社に今在籍中ですが
確かに市場をまとめ上げつつ儲けなければならないので、非常に難しい作業なんですよね
代表は大きなビジョンを描きつつ、方方説得に回らなければなりませんし、どこかでユーザーが割を食うみたいな事になっては意味がありません
 
でもそういった市場づくり、仕事づくりがより強固な形で再生成されていけば
より良い世の中にもなるし、労働者側はビジネスの事を気にせず、ひたすらクオリティアップに注力してもらえるのではないかと思います

 

おわりに

なんかまとまりがないですが以上です

ユーザーサイドのことがあまり書けませんでしたが
ユーザーとしても、基本的に全てが無料で、より良いと思うものにより高い額を出せるという状態は悪くないのではないでしょうか?
要はみんなが食いっぱぐれ無ければいいのです

世の中に愚痴を吐くよりは、そういうビジネスモデルがあるのかとまずは関心してみてほしいです

 
あと元の話題であるキンコンAmazon1位の件ですが
あれはまた別の話で、ランキング制度の問題ですよね
ランキングというのは奥が深いと思います
これも難しい問題ですね

(あの人が言っていた意見については、私はほぼ同意です。絵本は読んでませんが!w)

フリーランスのグロースハッカーという考え方

組織というのは重要なポジションほど要(かなめ)になりやすい

要だからもちろん重要で、安易に変えられるものではない

周りを支えなければならないし、それに100%以上のリソースを取られる

 

そうした状況だと

会社全体で一つのプロダクトをグロースハックしようとしたときに無理が生じる

グロースハックというのはミッションを決め、なりふり構わず前進するような行動だ

間違おうが軌道修正して突き進み、ダメだったときはいろんなものをぶっ壊しつつ前のめりに倒れる

 

そんなグロースハックを要の人間がやるのは非常にリスクが有る

そんな暇もない

 

そこで登場するのがフリーのグロースハッカー

ミッションを決め、短期間で空気を読まず突き進む

ダメだったらクビ、成功してもグロース後は退場

そんな人材が居たら便利じゃないだろうか

 

そんなことを思いながら最近仕事をしている

近況 2016/12/17

40人規模のベンチャーiOSアプリ兼グロースハッカーとして働くことになりました

このチャンスは活かしたい

 

あとブログ再開したい

近況 2016/10/06

一人で炎上中

今度見積もりミスについてQiitaにまとめたい

 

【議論】なぜ暑い時に「暑い」と言ってしまうのか?「議論」を攻略する②

続きです

 

otihateten.hatenablog.com

 

前回のまとめ

 

・意見に対しての反応は同意と否定が多い

・意見の差はストレスで、埋めると気持ちいい

・同意も否定も、この「差を埋める」行為をしている

 

「どうやればよい議論ができるか」は後に回して

一旦前回の話をより深く掘っていきます

 

一人でやる議論=考察

議論というのは、複数人でやるものですが
この「複数人」を「1人」に拡張して考えることができます
その時、議論は考察になります

 

これは私が言ってるだけではありません
論文の最後に出てくるdiscussionは、一人でやるのにdiscussionという名前がついています
議論は一人でもできるのです

 

一人でやる議論は、何を埋めている?

議論というのは、複数人で認識の差を埋めることで、よりよい答えにたどり着くための手法ですよね
では、論文のdiscussionはどうでしょうか?

論文のdiscussionでは、結果に対する考察をしています

1.最初こうやればうまくいくのではないかと思った
2.やってみた
3.一部うまく行き、一部はうまくいかなかった
4.うまくいかなかった部分は、自分の想定と結果の差異だ
5.議論により、差異を埋め、より良い答えを出そう

 

つまり、相手は結果であり、差異は当初の想定とのズレです

ズレを正しく埋めれば、おそらく良い答えに向かいますよね?

 

結果が無くても一人で議論はできる

論文では分かりやすい結果がありますが
結果がなくても一人で議論はできます
議論の相手は「世界」です(中二病っぽいw)

 

言葉でも文章でもよいです、考えたことを世界に出力してみます
その出力結果と、脳内世界に差異があれば、議論(独り言)は始まります

 

例)

「今日あっちーなぁ」
「あれ、暑いわけじゃなくね? 湿度が高いんだよきっと」
「いや調べたら湿度も低いし温度も低い」
「風邪引いたかな」
「うわ、計ったら38度だ、風邪だったのか」

 

 

一見してただの日常ですが、これは一人で議論しています

 

同じような現象はブログや仕事でも現れます

IT業界のネタ用語にRubberDucking(アヒルのおもちゃとの語らい)があります

あなたは全部知っていますか?プログラミングの業界用語30選 | 開発手法・プロジェクト管理 | POSTD

時には、問題をただ口に出して言ってみることが必要です。かつて私はボスの部屋に行って話をしたものでした。ボスはただ私の話を聞き、そうしているうちに私は、自分で自分の疑問の答えが分かり、ボスのアドバイスをもらうことなく彼の部屋を出たのです。アヒルのおもちゃに向かって話しかけられるように、誰かがアヒルのおもちゃをモニタのところに置いたという話を読んだことがあります。アヒルのおもちゃとの語らいは、自分が持っている問題を口に出して言ってみる手段になるのです。

 

これは自分が出力した言葉(世界)と脳内での議論が行われたということですよね

 

皆やってる小さな議論 自分と世界の差異を埋める

前回も書きましたが、扉がちょっとだけ開いてると閉めたくなりませんか?

また、思っていた場所に思っていたものが無いとイライラしませんか?

部屋が散らかっているとイライラするし

自分のことを家族が理解してくれないのもイライラします

皆が自分と違うことをいうのも嫌ですし

反対されるのも嫌です

言いたいことを言えない世の中もツライです

 

こういうのは、自分の脳内世界と実際の世界の差異に苛ついていると考えることができます

 

自分の頭のなかでは非常に「暑い」という感覚が渦巻いている時

暑い」と発言することで、世界に「暑い」が登場します

すると、脳内と世界の差異が少しだけ埋まるので、少しだけストレスが緩和されます

 

この
「世界と自分の脳内を近づける作業に、人は物凄いモチベーションを発揮する」

というのは面白い発見だと思います

 

「自分を合わせる」「相手を合わせる」

世界と脳内を同質化させようとするとき、2つの方法があります

自分を世界に合わせるか、世界(相手)を自分に合わせるかです

難しい話ではなくて、前者は「同意」後者は「否定」です

 

もっと言えば、前者は「シンパシー」「リスペクト」「パクリ」「流行」「勉強」などありますし
後者は「洗脳」「教育」「強制」「布教」など色んなパターンがあります
しかしやってることは同質化ですよね

 

ところで否定の方はかなり限界があります
世界なんで安易に変えられません
しかし否定が大好きな人は否定にこだわるので、もう一つの新たな方法が生まれます
それは自分の世界に対する認知を変えてしまうという手です
これは認知的不協和と言って、「酸っぱい葡萄」で有名ですね

 

すっぱい葡萄 - Wikipedia

キツネが、たわわに実ったおいしそうなぶどうを見つける。食べようとして跳び上がるが、ぶどうはみな高い所にあり、届かない。何度跳んでも届かず、キツネは怒りと悔しさで、「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか。」と捨て台詞を残して去る。

 

当たり前ですが、絶対的に正しい世界なんていうものはありません
あくまでその人が認知し、脳内で世界を構成したものを使っています
だから、強いストレスがかかる場合は認知の方を変えてしまいます

 

ちなみにすっぱい葡萄における「同意」の方は、例えば
キツネ「めっちゃぶどう食べたいけど届かない、つらたん(;_;)」みたいな感じですね
Twitterなんかに投稿して「わかるー」「かわいそう」と言われればストレス緩和できるかもしれません

認知的不協和の例:陰謀論、不条理

例えば、頭のなかで「りんごが一番美味しい果物で、日本人はみなそう思ってる」と思ってる偏屈な人が居るとします
そんな人がネットで「梨最強すぎワロタwww」などという発言を見た時
世界と脳内でどうしようもない差異が起こります
すると先程のすっぱい葡萄の例と同じことが起きます

「彼らはなにか企んでいる」「彼らは日本人じゃない、日本人のふりをしている」

などと陰謀論を始めます
こういうケースは非常に多く、日常にあふれています

 

また、人間は不条理や理不尽なことが嫌いですが
コレも結局、脳内で考えたルールと実際とが合わないから起こる気持ち悪さだと思います
人は「理にかなっている」ことがとっても大好きなのですが、人によってはその理が非常に間違ったものであることも多いです

 

創作は議論に近い

表現するということは、世界に自分の脳内を吐き出すような行為であり、同質化に近いです

このとき、「誰も読んでくれなくてもいいや」という場合は世界に対して同質化していて
「より多くの人に伝えたい」という場合は人や世間に対して同質化していることになります

 

言葉を使わない議論

議論を「同質化」「良い答えを出す」という2つの行為に分解して考えると、議論は何も言葉を使わずともできることが分かります

 

例えば一人の芸術家Aが、これまでにない素晴らしい作品を作ったとします
その作品に対して別の芸術家Bが、一部をリスペクトしつつBにとって差異を感じた部分をアレンジした作品を作ったとします
Aは、それを見て「なるほど」と思ったり「いいや違う」と思ったりしながらまた次の作品を作ります

これってもはや議論ですよね

 

もう一つ例を挙げると、例えば多くのユーザーが居るサービスが有るとして
新しい機能を入れた時、ほとんどのユーザーから「NO」を突きつけられたら、機能を取り下げるかもしれません
この時ユーザー一人一人の声ではなく、全体の割合で「同意」「否定」を感じ取り、良い物に仕上げていくのは議論に近いです

 

または、普通に複数人の場合でも
言葉で何が良いか語らうより、率先した行動で模範を示すことがあると思います
その行動に対して、別の人が少し違うやり方をし始めたら、それは議論に近いですよね

 

議論の出発点は叩き台

このように考えると、兎にも角にも「同意」「否定」される対象がなければなりません
1人でやるにしても、まず言葉にしてみなければなりません

ただ単に「議論するぞ!」だけではなかなかうまくいのが難しいところです

 

しかし、経験則でわかると思いますが叩き台は非常に叩かれます
インターネットなら炎上もするかもしれません
そのくらいの覚悟を持ち、かつ前回言ったように「粗ばかり」では議論に発展できません
80点くらいは最初に示さなければいけないので、かなり難しい作業です

 

もちろん50点でも、よりよい叩き台を出せる人を炙り出すことはできますが
大抵50点の方が先に叩き台として注目されてしまうので、うまくいくことが少ないと思います

 

ここまで

まだまだありますが一旦ここまでにします


議論って「差異を埋め同質化」して「良い答えを出す」ものなんだ。と考えると色んな事象がシャープに見えてくるのではないかと思います

実は議論ってそこかしこにあって、どれもやり方としては同じなら、応用が利きますよね

次回は議論をうまくやる方法を書ければと思います

 

そういえば、「相手の意見を否定した時、否定した人の差異は埋まるが、否定された人の差異は生まれるから、否定された人は凄いストレスを抱える」という話をまだしていませんね

ここがとても重要なポイントだと思います

【議論】なぜ否定的な意見ばかり目立つのか?「議論」を攻略する①

ネットでも会社でも、何か意見を言うと否定してくる人って居ますよね
これは何故なんでしょうか?

それを突き詰めていき、議論の本質と、人間の感情について考えていきます

 

これは個人的に大変おもしろい発見でした

ちなみに去年、サービス開発の時に考えたものです(会社はもう潰れました!w)

※ちゃんと調べれば、認知心理学言語学などに学術的な論文があるかもしれません

 

 

意見に対する反応は、同意か否定

意見に対する反応はほとんどが「同意(共感)」と「否定(指摘)」です

もちろん他にもありますが、大抵のものはこの2つにまとめられます

 

例)

A「昨日親と喧嘩したんだ。部屋を勝手に掃除されてさ、プライバシーを考えろっていうんだ」

B「うわ、そりゃ酷いなー」 同意

C「俺も前されたわ」 同意

D「いや、親なんてそんなもんだよ」 否定

E「お前の部屋が汚いのが悪いんだろ」 否定

F「仲直りはできたのかよ」 否定

 

ちなみに同意、否定以外では提案や議題の変更があります 

 

同意ばかりする人と、否定ばかりする人 

会話の中で同意ばかりする人と否定ばかりする人が存在しますよね

 一般的には女性が同意型、男性が否定型が多いと言われています

 

何故偏るか、理由まではわかりませんが、恐らく楽なのだと思います

同意するだけなら共感ポイントを探すだけよく

否定するだけなら否定ポイントを探すだけでよくなります

 

両方やろうとすると、同意できる点と否定できる点を探し、次に何を発話するか、その後どういうやり取りになるか考えることになります

  

意見の差はストレス!

自分の考えていたコトと、世界に存在する事象が異なるとき

人は少しのストレスと、合意に対するモチベーションが湧きます

合意のモチベーションが弱く出現したのが発話だと思います

 

例)

・自分にとって違うと思う表現(発言)が存在する

   ・りんごは緑色だ

   ・太陽は地球の周りを回っている

・相手が自分のことを理解してくれない

・自分の認知と世間の認知がずれている

   ・自分がつまらないと思う映画が世間で絶賛されている

   ・自分が面白いと思う映画が世間で酷評されている

など

 

 

例)

悪口に言い返すのも、ストレスで説明がつきます

「お前はバカ」と言われて、自分はバカではないと思っていたり、自分はバカだと思うがその発言をするべきではないと感じたら、言い返したくなりますよね

「どこがバカだ、言ってみろ!」

これは暗に「バカではない」と言っています

 

 

例)

A「お前のうちはいいよなー金持ちで」

B「は?どこが金持ちだよふざけんな」

というようなやり取りも、Bは認識の差異に苛ついています

 

 

面白いことに、人間は「認識の差をわざと作って突くのが相手にとってストレスだ」ということを無意識に理解しているようです

悪口が得意なやつほどそこら辺は分かっていると思います

ハゲじゃない人にハゲって言ってみたり

 

合意させる行為は気持ちいい

人間は、適度なストレスとその解消を楽しむ動物です

ホラー映画やジェットコースター、タバコなんかもそうですね

ストレス下において、そこからの脱出を快楽と感じます

 

意見についても同じで、それ違う!というのを埋められた時は快感を得ていると思います

 

僅かな差を埋めるのがとても気持ちいい

例えば、ちょっとだけ空いたドアを無意識に閉めることはないでしょうか?

人間は、あとちょっとを埋めるのが好きなようです

合意についても同じで、全くハチャメチャな論理より、「惜しい」論理のほうが気になります

 

50点の映画には何もいいませんが、90点の映画には残り10点についてとやかく言います

 

「叱ってくれる内が華」みたいな概念がありますが、あとちょっとで治りそうだから叱るわけで、どうしようもなければ何もしようとしません

 

漫才がなぜ面白いか ボケとツッコミ

これらを上手く表現したのが漫才やお笑いです

 

ボケ担当の人がわざと少しだけ間違い、ツッコミがその差を埋めます

それがとても楽しいのです

 

他人のツッコミも楽しめる

お笑いの例で考えると、自分が突っ込まなくても誰かがツッコんでるのをみるだけで楽しいですよね

人は共感できるので、誰かが絶妙な隙間埋めをしているとナイス!座布団一枚!と言いたくなります

 

同意する人も、否定する人も、実は快楽を求めている 

同意派の人は、意見の差によるストレスを避け、合意できる部分だけ探して同意して楽しみます

お笑いで言えばあるあるネタです

 

否定派の人は、意見の差をツッコミにして、場の合意状態を作り楽しみます

お笑いで言えばツッコミです

 

やってることとしては大差がありません

 

なぜ記事が炎上するのか

そう考えれば、記事が炎上する理由は意外と簡単です

上手い具合にツッコミどころを用意してあげればいいのです

お笑い芸人のように、何度も何度もうまいボケをしてくれると、皆喜んでツッコミを入れます

 

たまに「何でわざわざ見たくもない記事に来てギャーギャー言うんだ」って言う方が居ますが、単純に気持ちいいからです

 

否定の方がバリエーションが多い

ここまでの話だと、同意と否定が半々にあるべきなように思えますが、実際は否定のほうが多いですよね

 

その理由の一つが、否定的意見の方がバリエーションが多いからです

意見とは様々な認知・前提知識・論理構造の上に立脚しているため、粗探しがとてもしやすいのです

一方で同意のパターンは、それら網羅的に「イイネ」というほぼ一択です

 

もう少し頑張って同意するなら、「その話の○○というところはとても理解できる、例えば△△だってそうだ」みたいな話し方はできますが、これは非常に難度が高い作業で、かつ文章も長くなり、意見が埋もれます

 

これはお笑いの中で「わかるわー」より「なんでやねん」の方が多いのを見ても察せるかと思います

   

否定のバリエーションはどのくらいある?

ここからクソだるい話になるので次回に回しますが、ちょこっとだけ触れてみます

 

まず、このような発言があったとします

 

Aさん「カモノハシは卵を生む生物だから、爬虫類だ」

 

実際にはカモノハシは哺乳類です

分類学上、Aさんは間違ったことを言いました

では、議論の中でAさんに何と指摘するでしょうか?

 

そのバリエーションを表したのが下図です

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ツッコミどころというのはこのようにとても複雑かつ多くの観点があります

 

議論って何?

議論というのは、これらのツッコミをすることで、相手と合意形成し、一緒になって良いロジックを模索する行為です

そう考えると、どこに対してどうツッコミを入れるかが非常に重要となってきます

 

また、議論というのは一人でもできますし、言葉を使わずともできます

 

そんな話を次回にしたいと思います