そう言えば前に似たこと書いたなぁと思って漁ったらありました。
でもこれは議論についてですね。
会話に広げるともう少しパターンがあると思います。
正常な会話は正常な議論から
以下は前に書いた図です。
相手の発話に対し、どう切り返すかに関して書いたものですが、これはほとんど発話に対してきちんと意見をいう際のツッコミどころ一覧です。ラストだけ議題変更です。
はてな匿名ダイアリーの件では、Aさんはあの手この手で「議題の変更」を行っています。これこそ増田がイラつく原因ではないでしょうか。
つまり増田が提示した議題について、Aさんと議論状態になれないのです。
※ちなみに、議題とは上図でいうところの全体、あるいは一つ一つのツッコミどころという認識です。話題は「カモノハシについて」といったもっと広い話と考えています。話題はそれてないけど議題はそれてることってありますよね。
肯定だけ、否定だけ、議題変更だけはツライ
これは人に依りますが、私は議論が健全に行われている状態の会話が、会話者にとって幸福度が高い状態だと思っています。
これは自分と相手の意見の差異を楽しんでいるのだと思います。
例えば、どんな事を言っても肯定だけ。どんな事を言っても否定だけ。どんなことを言っても議題変更されたらどうでしょうか。非常にツライ会話となり、これ以上話しても無益だとなることでしょう。
特にツライと言われるのが否定だけパターン。逆に肯定だけパターンはあまり槍玉には上がらない印象ですが、人によってはそれも嫌うでしょう。議題変更だけパターンは、両者の中間くらいのツラさでしょうか?
人によって会話ゲームが違う
会話してる人たち全てにとっての幸福度(場の幸福度)は、大抵の場合上で言った通りだと思います。しかし、話者一人ひとりで言えば、目指すゴールが違っていたりしますね。
- 共感してもらうことがゴール
- 批判することがゴール
- 場の幸福を追求することがゴール
- 自分のしたい話を如何に聞いてもらうかがゴール
- 如何に相手の話を聞くかがゴール
- 如何にイニシアチブや、マウントをとるかがゴール
etc
これらが上手く噛み合わないと、場としては不幸な会話になってしまいます。
議題変更・話題変更
一旦、今ここで話す議題と話題の整理をすると。
こんなイメージです。
「マルゲリータって美味しいよね」
議題:マルゲリータは美味しいかどうか
話題:マルゲリータについて。美味しい食べ物の話
議題変更は何も悪いことではありません。
正常な会話だと
議題が決まる → 肯定・否定が出る → 議題変更・あるいは話題変更 →
というループで進みます。
いつまでも同じ議題、話題について話していても飽きるだけです。
これらを上手く組み合わせて、ようやく普通に会話になります。
感嘆、意見など、その他の選択肢
これらの他にも、感嘆、意見などの選択肢があると思います。
どちらも特徴的なのは、個人が主体になっていることです。
感嘆は分かりやすいですよね。肯定に近いですが、より感情に寄っています。
意見は、主語を広く取れば議題になるところを、個人に紐付けることで事実にしてしまうパターンです。
例:
議題:この服は可愛い
意見:私はこの服が可愛いと思う
主語の選択は、安易な否定を防ぎ、会話を円滑にするためのテクニックでもあります。
主観的なことはどうあがいても議論が収束しないものなので、会話が上手い人はここらへんをうまく使い分けている印象があります。
(逆に主語を無視するとブログでも荒れたりしますね)
主語を自分にしなくても良いと思います。
第三者を持ち出すことで会話の流れにアクセントが付くでしょう。
例:あいつがこの前「この服がすごく可愛いから俺も着たい」って言ってた。
議題変更・話題変更のパターン
一つの発話には、ツッコミどころが複数入っているようにみえると思います。
つまり1つの議題は大抵複数の議題に分割することができます。
ツッコミをすることで、議題の再提起がされます。
発話がそれまでの議題と直接的に紐付かない場合には話題変更と言えます。
まとめ
- 発話には、議題に対するツッコミ(肯定、否定、意見)、議題の変更、話題の変更、意見、感嘆、その他がある
- 会話が上手い人は無意識的にそれらを組み合わせている(恐ろしい!)
- どれかに偏ると会話の質が下がる
- いい会話のためには、これらを意識的にバランス良く組み合わせるのが良いんじゃないでしょうか
でももうちょいシンプルなモデルにしたいですねこれ。ていうかどこかにまとまってると思うんですが(自然言語の文脈理解か、認知心理学か、言語学あたり?)
あと、本当はもう少し色んなパターンがありますよね。面白いこと言ってみたり、叱ってみたり。