これ読みました。
努力2.0面白そうです。
「努力はもうしてる、でもまだ足りない、じゃあどうする?」という話は前に書きました。
「じゃあどう努力すればいいの?」について考えをまとめたいと思います。
- 頑張れる時間は有限
- どう努力すればいいのかという問題
- 「努力」の正体
- 努力が具体化されると努力という言葉が消える
- 目標到達のための方法がわからない
- 努力すれば何でもできる、わけはない
- 努力の方法が見つかってしまうと、何だか行けそうな気がしてしまう
- 前人未踏の目標はどうする?
- 「目標達成方法」はイノベーションの方法が一番近い
- 努力の方法=目標達成のための行動の基本
- 正しく努力しても目標達成できない場合がある理由
- 良い行動案を見つけるには?
- 思いついた行動を、既に誰かやってるかもしれない
- 才能とはなにか
- 才能に努力で打ち勝つ方法
- 目標設定を上手くやって才能に打ち勝つ
- あとがき
頑張れる時間は有限
何か高い目標に対して頑張れる時間・機会というのは有限です。
これは、人によっては部活のときに、あるいは受験の時に、あるいは仕事を通して気づく事が多いと思います。特に競争が絡むと有限を感じるかもしれません。他の人も頑張ってるから、自他の差が出ず、努力してる/してないでは勝敗がつかなくなります。
どう努力すればいいのかという問題
実はこれ、問題設定がまずいと思います。
努力という言葉は非常に抽象的で、一般化するのは難しいはずです。
eスポーツ選手なのか、受験生なのか、社会人なのか、様々な状況で具体的な行動はガラッと変わってくるでしょう。
「努力」の正体
「努力」を一段階具体化すると「目標に到達するための行動」となると思います。
なぜこれほどまでに「努力」という言葉が多用されるのかといえば、その話題が出てくる前提状況として「目標に到達できていない」があるのだと思います。
この感情から生じる言葉の代用現象(今命名)というのは外でもあります。
例えば「金がほしい」は本当に欲しいものは金じゃないはずです。「死にたい」は大体の場合本当に死にたいわけではないはずです。
これらと同じように「努力」という言葉が飛び出す時は大抵「目標に到達したい」が根底に有り、しかしその方法がモヤモヤしてるから「努力」という言葉が出てくるわけです。
努力が具体化されると努力という言葉が消える
感情から生じる言葉の代用現象というのは、大抵その解決策が具体化されるとその抽象的な言葉は出てこなくなります。
金を得るには仕事をすればいい、となれば「金欲しい」が「仕事したい」になります。
死にたくなくなるためには恋人がいればいい、となれば「死にたい」が「彼女欲しい」になります。
例えば山登りを考えると、登頂のための手段は「歩いて登ること」です。
じゃあ「あなたは登頂のために歩くという努力をしているのですね?」と言われると、何かしっくり来ません。「登頂のために色んな道具を用意するなんて、努力家だなあ」と言われても、しっくり来ません。
単に目標達成のために普通にやってるだけです。
目標到達のための方法がわからない
努力という言葉が出てくるシーンでは、目標到達のための方法が分かっていないわけですから。まず、
「どう努力すればいいか」は
「目標達成のために何をどれくらいすればいいか」に置き換えましょう。
そちらの方が具体的です。
努力すれば何でもできる、わけはない
先程の登山の例を再び使うと
「歩くという努力を重ねればいずれ登頂できるか」
という話になります。
これはもちろん山次第です。「たしかにそうだ」という山もあれば、「んなわけあるか!」という山もあります。
これと同様に、目標次第で「努力でどうにかなるか」は変わってくるはずです。
努力の方法が見つかってしまうと、何だか行けそうな気がしてしまう
これは人間の悪い癖なのかもしれません。
登山ならそんなことないと分かるでしょうが、方法論がわからなかったものが分かるようになると、途端に目標達成できるような気がしてしまいます。
- 努力しているか/していないか
- 努力方法がわかってるか/わかっていないか
- 努力で目標到達可能か/可能じゃないか
- 実際にやるか/やらないか
この順で議論されるべきですが、どうしても1,2に終止してしまいます。
前人未踏の目標はどうする?
努力を考えた時、既に方法が確立されているかいないかは大きな違いがあります。
既に方法が確立されているものは、たしかに努力しているか/していないかが重要なウェイトを締めるのですが、そういったものは言葉がより具体化される(例えば「勉強してるか」)ので、努力で悩むのは結構「方法が確立されていない方」だったりします。
それで努力=「目標達成のために何をどれくらいすればいいか」で悩むわけですね。誰に聞いても教えてくれないので。
「目標達成方法」はイノベーションの方法が一番近い
前人未到の目標に対して邁進している人は誰がいるか、世の中を見渡してみると、実はスタートアップ企業がそれに非常に近いです。
努力の方法は彼らから学ぶところが大きいと思います。
努力の方法=目標達成のための行動の基本
企業がどのように目標達成していっているか、というのは語るととんでもない量になってしまいますが、基本的にやってることは変わらないと思います。
目標の明確化
行動の選択
定期的に振り返り
※目標が非常に遠い場合はそれを分割する。
※選択できる行動がなければ前もって調査する。
「行動」実は最初はあくまで仮説です。
「この行動をしたらこういった効果があり、目標に到達するはずだ」
これが実際どうだったかを振り返りでジャッジして、結果その行動を続けるのか、他の方法を試すのかを決めます。
何のことはない、試行錯誤です。
正しく努力しても目標達成できない場合がある理由
- 理論上不可能
- 良い行動仮説が見つからない
- 行動ができない
- リソースが足りていない
- 振り返りの失敗
色んな原因があります。むしろ失敗のほうが多いですね。
特に広大な未踏ゾーンから短時間で目標に達しようとするほど、結果は確率的になります(要は運)
1万人の努力家の中で1人が達成したとして、それはその1人が優れていたのか、運だったのかは実際のところ分からない事が多いです。
良い行動案を見つけるには?
一番手っ取り早いのは模倣です。
しかし模倣した時点で、模倣対象が確信を持ってその行動をしているかどうかはわかりませんし、その行動が自分に効果あるかどうかはわかりません。
例えば教科書を読んで理解できる人もいれば、理解できない人も居ます。「教科書を読む」という行動を模倣しても、自分が理解できない場合は別の手を探さなければなりません。
なので、世の中に対して模倣できそうな対象はたくさん見つけなければならないし、そのために日々観察が必要になります。
思いついた行動を、既に誰かやってるかもしれない
その行動を1回実行するのに5年かかるとしたら、それが成功するかは極めて運次第になります。
その運要素を下げるには、その行動を既に行った人を探して観察・ヒアリングする方法があります。
先輩の話を聞くとかがそれに当たりますね。
才能とはなにか
ある行動仮説を実行した際に、どのくらい良い効果があるかの平均を才能と呼べると思います。
才能のある奴というのは、どの行動を選択しても一定の成果を上げてしまうし、才能のない奴というのは、どの行動を選択しても効果が上がらないため、目標達成難易度に非常に差が出ます。
才能に努力で打ち勝つ方法
- 無駄行動をしない(リソースの節約)
- 行動の選定眼を養う(これも才能っぽいですが)
- 上手くやってる人を沢山見つける
- 目標設定をうまくやる
これらを上手くやるのは所謂「努力の天才」で、領域によってはそちらの方が重要なものもあります。
まあ今度は「努力の天才に勝てない」で苦しむんですけどね。
目標設定を上手くやって才能に打ち勝つ
戦ったら負けそうなシーンで逃げるという選択肢が有りなら、目標設定は非常に重要です。
自分ができない程度の目標を掲げてしまうと、如何に天才だろうが失敗してしまいます。失敗は非常に多くのリソースを無駄にします。
才能に自信がないなら、自分ができることを着実にやったほうが結果的に多くの目標を達成できると思います。
では目標設定はどのようにうまくやるかと言えば、
- 取りうる行動のボリュームと精度
- 模倣できる対象のボリューム
- 制限されているリソース(例えば締め切り)
- 自分の努力の才能
からある程度見積もれるはずです。
なので「自分がどのくらい精度良く努力できるのか」というメタ的な認識は非常に重要で、これは才能を使わずに何度目標達成してきたかに依存します。レベルアップするわけです。
結果的に「やらない」選択が増えて「チャレンジしないおっさん」になるリスクもありますけどね。
あとがき
思ったほどまとまりが悪い文章になってしまいました。
そのうち書き直したいです。
ちなみに前回の話と結構似ています。
ここらへんが似てる気がしますね。
所謂プログラミング的思考がそれだと思うんですが。