この機会に、以前から考えていることを書きます。
何のために寄付するのか、お金を払うのか
最近、YoutubeLiveでスーパーチャットという投げ銭ができるようになりました。
他のプラットフォームでも、以前よりは簡単にお金を支払えるようになりました。
それで、自分はなんのためにお金を払っているんだろう?と疑問に思うことが増えました。こういうのはアメリカとか寄付が盛んな国ではもっと自然なのかもしれません。
普通、私達は商品を購入するためにお金を払います。商品はモノであったり、権利かもしれません。ギャンブルだとそれはチャンスや可能性なのかもしれません。
しかし、寄付や投げ銭はそういったものとは少し違います。
お金を払うことで明確な何かが返ってきません。払っても、払わなくても自体は何も変わらないのかもしれません。
投資という考え方
一つは投資という考え方だと思います。
クラウドファンディングの多くはこれです。自分が払うことで、何かが実現することを期待して払うのです。自分が(自分たちが)払わないときっとそれは完成しないから、その燃料としてお金を払います。
でも、これも商品と似た感じですね。
お代は見てのお帰り
「お代は見てのお帰り」とはよく客引きの文句として聞くと思います。
「先に見て、良いと思ったらお金を払ってね」と言う意味です。
それ程までにコンテンツに自信があるという話で、要は後払いです。
実はコンテンツ業界ではこういった「お代は見てのお帰り」方式が結構あります。アニメのBDなんかもほとんどそれです。テレビで放送されていたら既に録画しているでしょうし、敢えてBDを買う理由が希薄です。それでも買う人が居ます。
もちろんこれらについても投資の側面があります。
素晴らしいものを作った人たちに、また作って欲しいから。2期が見たいから支払うというケースです。
でも、完結していて2期がない場合もあります。それでもお金を払う場合があります。
最後に残ったお金を払う理由
これはもはや、お金を払いたいから払うとしか言えません。非常に感情的なものです。
もう少し言えば、自分がそうあって欲しいからお金を払うわけです。
そう思うに至る原因はいくつかあります。
- 支払う相手が非常に素晴らしい行いをしたから
- お金を受け取るべきだと思うから
- 報われるべきだと思うから
- 同情心
認知的不協和のたぐいです。
認知的不協和(にんちてきふきょうわ、英: cognitive dissonance)とは、人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。人はこれを解消するために、自身の態度や行動を変更すると考えられている。
これに似た感情に「感謝を伝えたい」というものがあると思います。
感謝を伝えたいのに伝えられないのは非常にもどがしいものがあります。
基本的に私達は頑張ってる人は応援したいし、報われてほしいし、良いものをもらったら何か返さなきゃ気がすまない生き物です。
ニコニコ動画界隈に「振り込めない詐欺」と言う言葉があるのですが、これはその感情を端的に表していると思います。素晴らしいことをやった人が無料でやっていたりすると、自分はどこに金を払えば良いんだ?となってしまうわけです。資本主義の時代に生きる人間臭いですね。
振り込めない詐欺とは (フリコメナイサギとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
他に、外国だとよく「彼にメダルを授けたい」「勲章を授けたい」みたいな言い方をしたりしますね。感情としては似ていますが、文化によって現れる形が少しずつ代わります。
誰のために寄付をするのか
じゃあ結局、誰のために寄付や義援金を送るのかと考えれば、それはおそらく自分のためなのだと思います。
より相手のためを考えるなら
ただ、お金を渡す時、非常に感情的ですから、コントロール難しいことがあります。
- 相手に見返りを求めるべきではない
- 必要なのはお金じゃないかもしれない
- お金が却って迷惑になるかもしれない
ここらへん、よくよく気をつけて行動したいところです。
例えば、自分が甘党だったとして、お礼に美味しいチョコレートを贈るとします。しかし相手が甘いもの苦手だったら、その気持ちは迷惑にもなるわけです。
大体の場合相手は優しいので「ありがとう、美味しそうなチョコだね」と言いますが、その可能性は忘れないでおきたいです。
おわりに
これ、結構前から考えていて、寄付や投げ銭は、実は支払う側にとって価値があるものなんだろうなと思っていました。払えることというのは、時として払う側に非常にポジティブな機能です。
京アニに義援金が世界中から集まるのも、アニメーターの待遇を皆が気にかけるのも、結局そういう認知的不協和から来ているのだと思います。
とは言っても、それだけでビジネスがワークすることは滅多に無いんですが(皆財布の紐は固いし、払わなくていい時に払う人は少数派です)
今回で言うと、おそらく私たちは「義援金を受け付けてくれてありがとう」と言うべきなのかもしれません。相手の事情なんてこちらからわかりませんから。
私も、何もできないもどかしさから振り込んでいる側面もあります。これはある意味ファンのケアなのかもしれません。
この窓口で少しでも世界中のファンと関係者の心のケアになればよいですね。