40人規模のベンチャーでiOSアプリ兼グロースハッカーとして働くことになりました
このチャンスは活かしたい
あとブログ再開したい
一人で炎上中
今度見積もりミスについてQiitaにまとめたい
続きです
前回のまとめ
・意見に対しての反応は同意と否定が多い
・意見の差はストレスで、埋めると気持ちいい
・同意も否定も、この「差を埋める」行為をしている
「どうやればよい議論ができるか」は後に回して
一旦前回の話をより深く掘っていきます
議論というのは、複数人でやるものですが
この「複数人」を「1人」に拡張して考えることができます
その時、議論は考察になります
これは私が言ってるだけではありません
論文の最後に出てくるdiscussionは、一人でやるのにdiscussionという名前がついています
議論は一人でもできるのです
議論というのは、複数人で認識の差を埋めることで、よりよい答えにたどり着くための手法ですよね
では、論文のdiscussionはどうでしょうか?
論文のdiscussionでは、結果に対する考察をしています
1.最初こうやればうまくいくのではないかと思った
2.やってみた
3.一部うまく行き、一部はうまくいかなかった
4.うまくいかなかった部分は、自分の想定と結果の差異だ
5.議論により、差異を埋め、より良い答えを出そう
つまり、相手は結果であり、差異は当初の想定とのズレです
ズレを正しく埋めれば、おそらく良い答えに向かいますよね?
論文では分かりやすい結果がありますが
結果がなくても一人で議論はできます
議論の相手は「世界」です(中二病っぽいw)
言葉でも文章でもよいです、考えたことを世界に出力してみます
その出力結果と、脳内世界に差異があれば、議論(独り言)は始まります
例)
「今日あっちーなぁ」
「あれ、暑いわけじゃなくね? 湿度が高いんだよきっと」
「いや調べたら湿度も低いし温度も低い」
「風邪引いたかな」
「うわ、計ったら38度だ、風邪だったのか」
一見してただの日常ですが、これは一人で議論しています
同じような現象はブログや仕事でも現れます
IT業界のネタ用語にRubberDucking(アヒルのおもちゃとの語らい)があります
あなたは全部知っていますか?プログラミングの業界用語30選 | 開発手法・プロジェクト管理 | POSTD
時には、問題をただ口に出して言ってみることが必要です。かつて私はボスの部屋に行って話をしたものでした。ボスはただ私の話を聞き、そうしているうちに私は、自分で自分の疑問の答えが分かり、ボスのアドバイスをもらうことなく彼の部屋を出たのです。アヒルのおもちゃに向かって話しかけられるように、誰かがアヒルのおもちゃをモニタのところに置いたという話を読んだことがあります。アヒルのおもちゃとの語らいは、自分が持っている問題を口に出して言ってみる手段になるのです。
これは自分が出力した言葉(世界)と脳内での議論が行われたということですよね
前回も書きましたが、扉がちょっとだけ開いてると閉めたくなりませんか?
また、思っていた場所に思っていたものが無いとイライラしませんか?
部屋が散らかっているとイライラするし
自分のことを家族が理解してくれないのもイライラします
皆が自分と違うことをいうのも嫌ですし
反対されるのも嫌です
言いたいことを言えない世の中もツライです
こういうのは、自分の脳内世界と実際の世界の差異に苛ついていると考えることができます
自分の頭のなかでは非常に「暑い」という感覚が渦巻いている時
「暑い」と発言することで、世界に「暑い」が登場します
すると、脳内と世界の差異が少しだけ埋まるので、少しだけストレスが緩和されます
この
「世界と自分の脳内を近づける作業に、人は物凄いモチベーションを発揮する」
というのは面白い発見だと思います
世界と脳内を同質化させようとするとき、2つの方法があります
自分を世界に合わせるか、世界(相手)を自分に合わせるかです
難しい話ではなくて、前者は「同意」後者は「否定」です
もっと言えば、前者は「シンパシー」「リスペクト」「パクリ」「流行」「勉強」などありますし
後者は「洗脳」「教育」「強制」「布教」など色んなパターンがあります
しかしやってることは同質化ですよね
ところで否定の方はかなり限界があります
世界なんで安易に変えられません
しかし否定が大好きな人は否定にこだわるので、もう一つの新たな方法が生まれます
それは自分の世界に対する認知を変えてしまうという手です
これは認知的不協和と言って、「酸っぱい葡萄」で有名ですね
キツネが、たわわに実ったおいしそうなぶどうを見つける。食べようとして跳び上がるが、ぶどうはみな高い所にあり、届かない。何度跳んでも届かず、キツネは怒りと悔しさで、「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか。」と捨て台詞を残して去る。
当たり前ですが、絶対的に正しい世界なんていうものはありません
あくまでその人が認知し、脳内で世界を構成したものを使っています
だから、強いストレスがかかる場合は認知の方を変えてしまいます
ちなみにすっぱい葡萄における「同意」の方は、例えば
キツネ「めっちゃぶどう食べたいけど届かない、つらたん(;_;)」みたいな感じですね
Twitterなんかに投稿して「わかるー」「かわいそう」と言われればストレス緩和できるかもしれません
例えば、頭のなかで「りんごが一番美味しい果物で、日本人はみなそう思ってる」と思ってる偏屈な人が居るとします
そんな人がネットで「梨最強すぎワロタwww」などという発言を見た時
世界と脳内でどうしようもない差異が起こります
すると先程のすっぱい葡萄の例と同じことが起きます
「彼らはなにか企んでいる」「彼らは日本人じゃない、日本人のふりをしている」
などと陰謀論を始めます
こういうケースは非常に多く、日常にあふれています
また、人間は不条理や理不尽なことが嫌いですが
コレも結局、脳内で考えたルールと実際とが合わないから起こる気持ち悪さだと思います
人は「理にかなっている」ことがとっても大好きなのですが、人によってはその理が非常に間違ったものであることも多いです
表現するということは、世界に自分の脳内を吐き出すような行為であり、同質化に近いです
このとき、「誰も読んでくれなくてもいいや」という場合は世界に対して同質化していて
「より多くの人に伝えたい」という場合は人や世間に対して同質化していることになります
議論を「同質化」「良い答えを出す」という2つの行為に分解して考えると、議論は何も言葉を使わずともできることが分かります
例えば一人の芸術家Aが、これまでにない素晴らしい作品を作ったとします
その作品に対して別の芸術家Bが、一部をリスペクトしつつBにとって差異を感じた部分をアレンジした作品を作ったとします
Aは、それを見て「なるほど」と思ったり「いいや違う」と思ったりしながらまた次の作品を作ります
これってもはや議論ですよね
もう一つ例を挙げると、例えば多くのユーザーが居るサービスが有るとして
新しい機能を入れた時、ほとんどのユーザーから「NO」を突きつけられたら、機能を取り下げるかもしれません
この時ユーザー一人一人の声ではなく、全体の割合で「同意」「否定」を感じ取り、良い物に仕上げていくのは議論に近いです
または、普通に複数人の場合でも
言葉で何が良いか語らうより、率先した行動で模範を示すことがあると思います
その行動に対して、別の人が少し違うやり方をし始めたら、それは議論に近いですよね
このように考えると、兎にも角にも「同意」「否定」される対象がなければなりません
1人でやるにしても、まず言葉にしてみなければなりません
ただ単に「議論するぞ!」だけではなかなかうまくいのが難しいところです
しかし、経験則でわかると思いますが叩き台は非常に叩かれます
インターネットなら炎上もするかもしれません
そのくらいの覚悟を持ち、かつ前回言ったように「粗ばかり」では議論に発展できません
80点くらいは最初に示さなければいけないので、かなり難しい作業です
もちろん50点でも、よりよい叩き台を出せる人を炙り出すことはできますが
大抵50点の方が先に叩き台として注目されてしまうので、うまくいくことが少ないと思います
まだまだありますが一旦ここまでにします
議論って「差異を埋め同質化」して「良い答えを出す」ものなんだ。と考えると色んな事象がシャープに見えてくるのではないかと思います
実は議論ってそこかしこにあって、どれもやり方としては同じなら、応用が利きますよね
次回は議論をうまくやる方法を書ければと思います
そういえば、「相手の意見を否定した時、否定した人の差異は埋まるが、否定された人の差異は生まれるから、否定された人は凄いストレスを抱える」という話をまだしていませんね
ここがとても重要なポイントだと思います
ネットでも会社でも、何か意見を言うと否定してくる人って居ますよね
これは何故なんでしょうか?
それを突き詰めていき、議論の本質と、人間の感情について考えていきます
これは個人的に大変おもしろい発見でした
ちなみに去年、サービス開発の時に考えたものです(会社はもう潰れました!w)
※ちゃんと調べれば、認知心理学や言語学などに学術的な論文があるかもしれません
意見に対する反応はほとんどが「同意(共感)」と「否定(指摘)」です
もちろん他にもありますが、大抵のものはこの2つにまとめられます
例)
A「昨日親と喧嘩したんだ。部屋を勝手に掃除されてさ、プライバシーを考えろっていうんだ」
B「うわ、そりゃ酷いなー」 同意
C「俺も前されたわ」 同意
D「いや、親なんてそんなもんだよ」 否定
E「お前の部屋が汚いのが悪いんだろ」 否定
F「仲直りはできたのかよ」 否定
ちなみに同意、否定以外では提案や議題の変更があります
会話の中で同意ばかりする人と否定ばかりする人が存在しますよね
一般的には女性が同意型、男性が否定型が多いと言われています
何故偏るか、理由まではわかりませんが、恐らく楽なのだと思います
同意するだけなら共感ポイントを探すだけよく
否定するだけなら否定ポイントを探すだけでよくなります
両方やろうとすると、同意できる点と否定できる点を探し、次に何を発話するか、その後どういうやり取りになるか考えることになります
自分の考えていたコトと、世界に存在する事象が異なるとき
人は少しのストレスと、合意に対するモチベーションが湧きます
合意のモチベーションが弱く出現したのが発話だと思います
例)
・自分にとって違うと思う表現(発言)が存在する
・りんごは緑色だ
・太陽は地球の周りを回っている
・相手が自分のことを理解してくれない
・自分の認知と世間の認知がずれている
・自分がつまらないと思う映画が世間で絶賛されている
・自分が面白いと思う映画が世間で酷評されている
など
例)
悪口に言い返すのも、ストレスで説明がつきます
「お前はバカ」と言われて、自分はバカではないと思っていたり、自分はバカだと思うがその発言をするべきではないと感じたら、言い返したくなりますよね
「どこがバカだ、言ってみろ!」
これは暗に「バカではない」と言っています
例)
A「お前のうちはいいよなー金持ちで」
B「は?どこが金持ちだよふざけんな」
というようなやり取りも、Bは認識の差異に苛ついています
面白いことに、人間は「認識の差をわざと作って突くのが相手にとってストレスだ」ということを無意識に理解しているようです
悪口が得意なやつほどそこら辺は分かっていると思います
ハゲじゃない人にハゲって言ってみたり
人間は、適度なストレスとその解消を楽しむ動物です
ホラー映画やジェットコースター、タバコなんかもそうですね
ストレス下において、そこからの脱出を快楽と感じます
意見についても同じで、それ違う!というのを埋められた時は快感を得ていると思います
例えば、ちょっとだけ空いたドアを無意識に閉めることはないでしょうか?
人間は、あとちょっとを埋めるのが好きなようです
合意についても同じで、全くハチャメチャな論理より、「惜しい」論理のほうが気になります
50点の映画には何もいいませんが、90点の映画には残り10点についてとやかく言います
「叱ってくれる内が華」みたいな概念がありますが、あとちょっとで治りそうだから叱るわけで、どうしようもなければ何もしようとしません
これらを上手く表現したのが漫才やお笑いです
ボケ担当の人がわざと少しだけ間違い、ツッコミがその差を埋めます
それがとても楽しいのです
お笑いの例で考えると、自分が突っ込まなくても誰かがツッコんでるのをみるだけで楽しいですよね
人は共感できるので、誰かが絶妙な隙間埋めをしているとナイス!座布団一枚!と言いたくなります
同意派の人は、意見の差によるストレスを避け、合意できる部分だけ探して同意して楽しみます
お笑いで言えばあるあるネタです
否定派の人は、意見の差をツッコミにして、場の合意状態を作り楽しみます
お笑いで言えばツッコミです
やってることとしては大差がありません
そう考えれば、記事が炎上する理由は意外と簡単です
上手い具合にツッコミどころを用意してあげればいいのです
お笑い芸人のように、何度も何度もうまいボケをしてくれると、皆喜んでツッコミを入れます
たまに「何でわざわざ見たくもない記事に来てギャーギャー言うんだ」って言う方が居ますが、単純に気持ちいいからです
ここまでの話だと、同意と否定が半々にあるべきなように思えますが、実際は否定のほうが多いですよね
その理由の一つが、否定的意見の方がバリエーションが多いからです
意見とは様々な認知・前提知識・論理構造の上に立脚しているため、粗探しがとてもしやすいのです
一方で同意のパターンは、それら網羅的に「イイネ」というほぼ一択です
もう少し頑張って同意するなら、「その話の○○というところはとても理解できる、例えば△△だってそうだ」みたいな話し方はできますが、これは非常に難度が高い作業で、かつ文章も長くなり、意見が埋もれます
これはお笑いの中で「わかるわー」より「なんでやねん」の方が多いのを見ても察せるかと思います
ここからクソだるい話になるので次回に回しますが、ちょこっとだけ触れてみます
まず、このような発言があったとします
Aさん「カモノハシは卵を生む生物だから、爬虫類だ」
実際にはカモノハシは哺乳類です
分類学上、Aさんは間違ったことを言いました
では、議論の中でAさんに何と指摘するでしょうか?
そのバリエーションを表したのが下図です
ツッコミどころというのはこのようにとても複雑かつ多くの観点があります
議論というのは、これらのツッコミをすることで、相手と合意形成し、一緒になって良いロジックを模索する行為です
そう考えると、どこに対してどうツッコミを入れるかが非常に重要となってきます
また、議論というのは一人でもできますし、言葉を使わずともできます
そんな話を次回にしたいと思います
夏休み以降調子が悪い
持病の乗り物酔いが原因か、はたまた持病の胃腸が原因か、もしくは持病の自律神経失調症が原因か、働き過ぎか
もはやMPはゼロに近い
今週できたら脳神経外科に行ってみよう
きっとあたまがわるいに違いない
通年行ってる転職活動だが、転職ドラフトの方は縁がなかった
そろそろ大企業に潜り込む方針は諦めようかと思う
メリットもあるがデメリットもあるので、基本フリーで頑張ろう
(外資はまだ縁があればあるかもしれないけど)
今の現場がいつまで続くかわからないが、最近本当に体調が悪いので今のややヌルい環境はちょっと助かっている(なんて言ったら怒られるが)
土日に久しぶりに街を散策した
もう5年も住んでる街なのに、あまりに知らなくて苦笑
本屋が何件か潰れていて時代を感じてしまった
あと子どもが減った気がする、気のせいかな
ようやく高給に慣れてきた
意識せずとも勝手に貯金が増えてきたが、意識すると皮算用を始めそうなので当分はこのまま小さいルールを作るのを心がけたいと思う
金に余裕ができても、ぶっちゃけこの超デフレ国日本ではそこまで嬉しいということはない(商品が大抵お手頃価格)
最近は月額課金化も著しく、下手すると金を減らすこともできない
もちろん後輩や、家族や、猫などが居ればそこで金が無くなるのだろうが、そんなシアワセな存在は持ち合わせていないし
風俗や車や旅行などの上等な趣味があっても金は無くなるのだろうが、そんなものもなくただの枯れたヲタクだ
でも、体調が悪い時に適当にグリーン車に乗れるのと、金勘定を毎週のようにしなくていいのと、モノを買った時に「やっぱ変える」と別のを買えるのはとても嬉しい
最近、弁護士や開業医の年収を見て、訳もなく「あーあいつらより儲けたいなー」と思えてきたので、今後は彼らを目標にしたい
強欲は悪だと思うが、強欲が尽きた時自分がどうなるかは非常に怖いので、まだ強欲が続いていて安心している
多分いろいろ満足してしまったら、二度と前に進めない気がする
MPが切れすぎて、1記事完成させる前に力尽きてしまう
下書きがどんどん埋まっていく
そのうち書こうと思うがその前に腐りそう
まあ2年以内には書く
それより小説の続きを書かなければならない
小説の方は4000文字書くのに推敲あわせて1日はかかるのでブログなんて気軽なものだ
はてブならばもっと高速に適当なことを書けるが!!
最近はてブをやりすぎだ
ホットエントリーの全記事に自分のアイコンがついてて笑う
まあMP切れてるから仕方ない
オイコノミアというEテレだかの番組でやってた中で面白かった話題です
プロ社畜が満足度高いというお話
Why Do People Overwork at the Risk of Impairing Mental Health?
http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/16e037.pdf
週40時間、月160時間労働だと満足度は2.4くらい(単位不明)
そこから下がっていき
週50~55時間、月200~220時間労働、残業40時間~60時間で一番辛くなり
そこからだんだん楽しくなってきて
週65時間、月260時間労働、残業100時間くらいで定時上がりと大差なくなる
というグラフですね
こういうデータで少し気をつけたいことがいくつかあります
特に後者が重要で、より楽しんだ人が長時間労働をしているだけかもしれません
そこは注意が必要です
参考
http://otihateten.hatenablog.com/entry/2014/11/03/031503
個人的には月の残業が60~110時間くらいが一番仕事だけに集中できる感じがしました
※あくまで感覚値であって、実際の能率は違うはずです
このくらいになると何日か会社に泊まることになるのですが、合宿みたいな感じで別に嫌ではないです
対して月の残業が40時間くらいの時はスゴくイライラしていて、もっと早く帰りたいと思うことが多かったと思います
まあもちろん状況によるんですけど、ストレスとか
ちなみにグラフでは週80時間までありますが、さすがに月残業160時間は2ヶ月しかやったことがありません
そういう状況は満足度とかいうレベルではないと思います、大体炎上してるので
でもそういうのって後から謎の社畜武勇伝(笑い話)になりますよねw
この結果をどう分析するかですが
テレビ番組では「仕事って中毒になるから良くないんだよ」「健康を害するからよくないよ」という結論でした
至極真っ当ですね
他のテーマでもあくまで残業=悪という論調でした
私の結論は少し違っていて
中毒を活かすことができれば短期的に集中して成長したり、物事を片付けられるのでは?と思いました
若干危険な発想ですが、例えば10週間働くときに
週55時間位で、残業イヤだなーと思いながら10週間やるより
週65時間を5週間、週45時間を5週間やったほうが、満足度が高く保てるのではということです
もっと言えば、それを休日で調整してできたら一番いいのではないかと思います
もちろん、融通の効く仕事じゃないとムリですけどね
(ちなみに個人的にはもっともっと極端な働き方がしたい。1月休むとか)
このグラフが真実だとすると、プロ社畜が何となく自慢気なのも説明がつきますし
それより早く帰ってる月40時間残業層の愚痴が多い気がするのも納得です
まあ、原因と結果が逆な気もしますけどね
不満が多い人は「そこそこ残業」の帯域に陥ってしまう、みたいな
そういう人って早く帰りたいけど仕事は残ってるので「そこそこ残業」になるはずなんですよね
そこで不満がない人は終電までやっちゃうんですよ
参考になる好例が降って湧いたので書いてみます
仕様をfixさせるなどの際、IT業界では議論をして複雑なロジックに落とし込まなければならなりません
その時リスクになるのが責任追及です
以前KPTについてQiitaに書いたんですが、その際も責任追及の悪影響について触れました
本当はすごいKPTで強いチームを作る for エンジニア - Qiita
今回は貧困JKうららちゃんのケースをみつつ、考えていきます
※なお体調がよくないので文章がモニョモニョですw
全体を俯瞰すると大体こういう構図だと思います
赤い線が責任追及です
これは一例ですが、関係者が揉めているシーンではこういう複雑な状況に陥ることが多いです
カテゴライズがおかしい
例えばメディアがJK叩きを批判する場合は、過激派を上手く対象化する必要がありますが、もっと大きく囲って「インターネット」と言い表してしまいます
これは早まった一般化に近いです
早まった一般化 - Wikipedia
他の例を挙げるとすると、自分の奥さんがムカつくからと「何で女はこうなんだ」みたいな愚痴をこぼす時も同じです
「罪を憎いんで人を憎まず」も同じ意味ですね
カテゴライズがおかしいと、関係ない人も混ざっているためもちろん問題を除去できません
問題が除去できないので未来志向の話ができず、有耶無耶になってしまいます(責任追及に終止してしまう)
全体が見えていない人が多い
全体の経緯や、誰が何を気にしているかを分析するには情報が必要ですので
そもそもPMなどのように情報を得られる立場にいるか、そういう人にヒアリングしなければなりません
しかし多くの人は目の前にある情報を鵜呑みにして反射的な反応をしてしまいます
上図で最も近視眼的なのは、まとめブログなどの読者と、メディアの視聴者ですが、ほぼ全体がある程度近視眼的になっています
全体をみようとしないと、何が問題でゴールがどこなのか容易に見失います
または簡単に間違ったカテゴライズをしてしまうこともあります
全体を類推するのが難しい
誰が何についてどういう情報を取得し、どう考えてどういう結論に至ってどこが問題だと思ってどうしたいと思ってるのか
それを類推するのはそこそこ難易度が高いのではないかと思います
(私はとても得意なんですが、自分以外だとディレクターはできてる人が多い印象です。エンジニアは不得意な人が多いですね)
メディアの存在
炎上させることが目的の人が存在すると一気に混乱します
プロジェクトでは余りいないかもしれません
原因追求のつもりが気づかない内に責任追及になる
今回で言うと、皆が「NHKが捏造したのかどうか」をテーマにし始めましたが
この時点で実は犯人探しになってしまっています
しかし面白いことに、皆はおそらくそれに気づいていません
大事なテーマがどこかへいってしまう
今回のケースで言うと貧困が大事な話であるにもかかわらず
正常な議論構造にならなかったため、簡単にテーマが逸脱しました
何も考えていない人の存在
今回で言うと過激派(愉快犯)ですが
そういう人たちがさらに話しをこじれさせます
特に組織間など、大きな枠では皆が混乱するトリガーになります
責任追及に至ると今回のようにどこまでも連鎖反応が起こり、問題の抽出が不可能になっていきます
当たり前ですが問題の抽出が上手くいかなかった場合、ほぼ解決の見込みはないです
例外としては誰かが何とかするケースや、誰かに全責任を押し付けてしまうケースですが、インターネットのこういう事象ではほぼ不可能ですね
逃げるか立ち向かうかで、普通は逃げるために責任回避の方向に全力を出しますが
一応このブログは「何とかする系エンジニア」なので、なんとかする方に舵を切ってみます
さあどうしましょうか
もう一度図を見て欲しいんですが、彼らの中で目標を収束させ、解決に導くために仲間に引き込めそうな人は居るでしょうか
居ませんね!
なのでこいつら全員無視しましょう
一つの案として、被れそうなら責任をもろに被ってしまう手です
もちろんそれで実害が出すぎるとNGですが
責任追及をしている人たちは、基本的に悪気があるわけではありません
彼らは彼らなりに解決しようとして失敗しているだけで、善良なバカです
モチベーションとしてはこんな感じでしょう
1.問題がある、何とかしなければならない
2.問題を解決するために、原因を追求する
3.原因を追求した結果、人・組織に行き着いた
4.あいつが悪い
壊れたスピーカーのように「何もかんも政治が悪い」って言ってるような人と同じイメージです
彼らは当初の目的の1.2あたりを忘れてしまっているので、いざ誰かが責任を被り「私が解決します」と言い出すと、我に返ります
我に返った後の行動としては以下の2パターンがありますが
どちらも「はいはい」と受け流していればそのうち飽きると思います
皆が飽きたら問題対処の権利を奪えるので、あとはゆっくり考えましょう
その時、一人ひとりは問題意識を持っているのでアイディアをくれると思います
ついでに愚痴も言ってくるでしょうが受け流しましょう
責任追及議論は、解決すべき問題を放置して永遠に続いてしまいます
その時はこっそり解決してしまう手があります
デメリットとしては2つ
どちらもうざいですが、対処方法はあります
前者は、個別にアプローチし、全体像は伝えない方法です
あくまで具体的な話のみに終止させれば暴走は抑えられると思います
後者は言い訳を作る方法があります
一番やりやすいのが部長や経営陣など上層部を味方につける方法で、「あの人と相談して、指示されてやりました」と言えば一旦収まるでしょう
とは言え、長時間こっそりやって、かつ解決しなければならないので相当つらい作業です
精神を病みます(前職でこれありましたが中々地獄でした)
解決しなくてもいいなら逃げたり無視するほうが絶対いいです
というか解決できない問題の方が多いと思います
解決できないパターンとしては、
などがあります
今回のケースもそうですね
国に関わるのは大抵これです
パニック映画などで見たことないでしょうか
「そもそもどうしてこんなことに・・・そうだ、あいつのせいだ、あいつが悪いんだ」
まあ関係者が自分の制御下にないとそもそも暴走してしまうので
大抵の場合どうしようもないんですけどね(´・ω・`)
私なら、ミーティングに出る人が6人を超えたら制御できる自信がないです
そこらへんはPMが本職なので、そういう皆から信頼されてる人に頼るのも手ですね
責任追及のトリガーを引かず、話を本筋に戻すためには
わからない・難しいことを受け入れる必要があります
わからないこと、難しいことに直面すると「そもそも論」になり、議題を上流に戻したくなります
これは問題解決の方法としては正しい行為ですが、「人」「組織」「常識」というレベルまで行くと一気に難解さが爆発します
「何が正しいか」「彼は正しいか」まで遡っては行ってはいけません
遡って良いのは哲学者だけです
そこまでいくのは全力でぐっと堪える必要があります
※エンジニアは感覚的にこのことを理解しているのか、あまり他者批判までいく人がは少ない印象です。解決しないと仕事が終わらない職業ですからね!
あとは、他者が行った責任追及に釣られないことが重要です
これも、思わずやりたくなるんですけどね
同調も、反論もNGなので返答に窮しますし
彼らは今度、その対処方法の質にギャーギャー言い始めます
しかし今度はテーマにできるモノがあるので
変な方に議論が行くのは少なくなるでしょう
逆に中心となるモノがないと、途端に責任論をやり始めます
アジャイルなどの開発では、とにかく触れるモノを作ってしまうことがよく求められますが
こういう経緯なのだと思っています